『ぬち(命)どう宝』沖縄のことばでいう、この今では当たり前のことは、かつて戦争の爆風にのまれ、尊い命は沖縄戦戦没者200,656人という単なる数字になってしまいました。その一人ひとりに命があり生活があったこと、家族があったことをその地に立って初めて思い至ったように思います。訪れた全ての場所に悲惨で壮絶で悲し過ぎる事実が、無残な史跡や遺留品、写真となって残り、まだそこに苦しみは続いているかのように感じました。四方に貼られたひめゆり学徒隊の少女たちの写真、幼さも残るその目は今の私たちの行動をじっと見つめているような気配がしました。この多大な犠牲に報いるような姿に、今の日本はなっているのでしょうか。私たちは未来に向けてどのように行動するべきなのでしょうか。 戦争を歴史で学んだだけの私にとって戦争は遠く危機感も現実味もないものでした。これまで家族や友人と『戦争』を語り合ったこともありませんでした。日本人であるならみな『戦争はおこしてはならない』という事は知っている、でも時が流れ危機感も現実味も薄れ行く中、50年後100年後その先に、二度と戦争を起こしてはならないと唱える人はどのくらいいるのでしょうか?今私たちにできるのはどんなに時が経っても戦争が過去のものとして忘れ去られないようにすること、決して美化や賛美をしないこと、ほんの少しでも戦争に吸い寄せられる隙を作らないよう行動することなのではないでしょうか。『この悲劇を二度と繰り返してはならない』よく耳にするその言葉を、ひとりひとりが強い思いとして生きていく事ができたら、次の世代にも、その次の世代にも思いは確実に繋げられるのではないかと思います。 今回平和行動in沖縄に参加させて頂き、この貴重な経験を無駄にしないよう多くの人に伝えたいと思いますが、どんなに言葉を尽くしてもその地に立った戦慄は伝えきることができません。是非多くの方に戦跡を訪れご自身で感じて頂きたいと思います。 電機連合 阿部香代子 |
平和式典、ピースフィールドワークに参加して、沖縄県が抱える問題、日本における米軍基地問題など改めて考えさせられました。 綺麗な海、碧と自然豊かな南国の雰囲気がある沖縄ですが太平洋戦争の末期、沖縄に上陸した米軍と日本軍との地上戦の跡が生々しく今も残り、激しい戦争だったことが伺えます。 一番残酷だと感じたことは、民間人が軍人を上回る犠牲者が出ていることでした。米軍の捕虜になったら暴行され殺される。という恐怖心から自決に追い込まれるという、戦争の残酷さを感じました。 沖縄県には全国の米軍基地の多くが集中しており、米軍による事件、事故がニュースでも報道されています。米軍基地の整理統合、そして日米地位協定の改定の必要性を改めて感じました。 「平和オキナワ集会」に参加させて頂いて、沖縄戦の現実や悲惨さを知りました。戦争を知らない時代に生きてきましたが、戦争は完全には終わっていないのだと思いました。 また私たち本土の人間と、沖縄の人たちの米軍、基地、自衛隊などに対する考え方の違いも感じ少し驚きました。 二度と戦争をしてはならないし、戦争の残酷さを次世代にも伝えていくことが私たちの務めだと思います。 今後も平和運動に対し、より多くの人に参加してほしいと思いました。 UAゼンセン 大場美和子
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